2011年7月12日火曜日

der Zurückschauenweg ~Ⅰ~


 私が料理の世界に入ったのは二七の時でした。高校卒業後すぐにこの世界に入る若者に比べたら、約十年くらい遅いスタートです。
それまでは京都の中央卸売市場の仲買で肉体労働をしていました。毎朝五時に起床して六時からのセリに立って、競り落とした青果を電気トラックで市場内を動きまわって取引先のトラックに積み込んだり、伝票の整理をしたり、市内のスーパーに十トントラックで配達に回ったりしていました。
 体を動かして働くのは苦ではありませんでした、自分たちが社会の裏側で流通という役割を担っているという自負もありました。しかしそうはいっても、「仲買」という仕事が今の時代に取り残されつつあることは否めませんでした。大型スーパーは直接産地農家と契約して安定供給を図っていたし、セリという役割もそれに伴い形骸化がどんどん進んでいきました。あるときセリ人が「この落ち値はもう決まってるんだけどね」と、一応セリをしているふりをしてセリ台に立っていることを教えてくれたのです。また肉体労働だけで、施設内の限定的なスキルでしか通用しない仕事にも満足できなくなっていきました。

 「手に職を持ちたい」

 二四で結婚して、その年の五月には二人目の子供が生まれようとしている時期でした。自分を、今のうちに方向修正しておきたい。もっと広い世界で通用するスキルを持って仕事がしたいという思いが強くなり、とにかく片っ端から履歴書を送りました。新聞記者、広告代理店、製パン業、アパレル会社、輸入業、しかしこの歳で何のスキルもなく、経験もなければどこも雇ってはくれません。面接すら受けさせてもらえませんでした。社会はそんなに甘くはない。そうは分かっていても、釈然としませんでした。
 そんなある日、妻が独身の頃良く通っていた居酒屋が正社員の中途採用を募集しているという広告を見つけてきたのです。串かつ焼き鳥を専門とする居酒屋チェーン店で、料理は安くて美味く、いつも活気にあふれており、常に満席で有名なお店だった。結婚したときに数人の友人を招いて披露パーティーをしたのもここだった。僕自身、料理は素人だけれど、作ることには興味はありました。募集要項には「経験不問、年齢制限二五歳まで」とあり、既に二歳もオーバーエイジでしたが、ことごとく転職の希望の光が消えかけているときだったので、あかんでもともとだと、事務局に電話を入れたらその日のうちに面接に来れるかといわれた。僕はあわててスーツに着替えてそのお店の本店に向かいました。
 本店は京都・金閣寺の近く、北野白梅町に大きく居を構えています。丸太作りのどっしりした外観と内装で、壁は臙脂に塗られ、メインのカウンター席にはねぶたの絵が大きく描かれています。夕刻になればいつも満席で威勢のいい従業員の掛け声と、お客さんでごった返すこの店。自分がこんなところで通用するのか、まるで自信なんてありません。とはいっても子供も生まれてくる。既に転職を決めた後、引き下がれないわけですから、前に進むしかない。
 面接は本店・三階にある小さな会議室で行われました。せいぜい二十名ほどが入ればいっぱいになるような小さな会議室ですが、まだできて間もないせいか、とても清潔な感じでした。最近の居酒屋はこんな設備も設けるのか、と内心感心していたのを覚えています。飲食店ですから、料理を作って、それを売って、それだけをやっていればいいはずだと思っていた自分にしてみれば、不思議な空間でした。
 最初に面接に来られたのは女性の事務員(実際には社長夫人だったと後になって知るのですが)でした。彼女は「今から採用のための筆記試験を行います。用紙にある設問に三十分以内で答えて下さい」とホッチキスで止めた数枚の用紙を僕に渡すと、会議室を後にしました。内容は簡単なアンケートのような内容でした。「あなたはどこでわが社の求人広告を知りましたか」「わが社にこれまでに来店されたことはありますか?」「その時の印象は如何でしたか?」そのような内容だったと思います。しかし最後の設問だけはとても印象深かったので良く覚えています。その設問は

 「働くということはどういうことだと思いますか」

 働くということは、まず生活をするために必要なことです。食べていくためには、働いて給料を稼ぎ、家族を養っていかなくてはなりません。しかし何をやって働くかが問題になります。私は生れてくる子供に、背中を見せられるような仕事をしたいと考えています。

 詳しい内容は忘れましたが、そのように答えたのを覚えています。用紙が回収された後、社長が現れました。五分ほど待った後だったので、恐らく僕の書いた用紙に目を通してだと思いました。びしっとスーツに身を包んだ体はとても小さいのですが、その眼光は鋭く、肩幅はがっちりとしていて、まるで柔道選手のようでした。

 「履歴書を見たけど、中央市場で働いてたんやね。なんで辞めるんや」時間を節約するかのように素早く席に着く、とメリハリの効いた言葉でいきなり質問を投げかけた。
 「市場での仕事が、面白くないからです。私はもっと手に職をつけたいと考えてます」
 「そやけど君、もう若くないよな。今度二人目のお子さんもできる、とここに書いてある。面白いか面白くないかでいちいち転職してたら家族なんか養われへんぞ。市場かて立派な仕事や」
 「その経営者のもとでこれ以上働きたくないと思っています」
 「ほぉ、なんでや?」
 とにかく社長は人から話を聞き出すのが上手かった。僕はそんなことまで話すつもりはなかった。そんな事を話したら、まず採用される見込みもなくなる。でもなぜか話してしまいたい気持ちにさせてしまった。
 僕はその市場の仲買会社のオーナーが兄弟経営で、経営方針が身内内で内々に済ませてしまう閉鎖的な環境に辟易していた。自分がもっと広い世界で通用するスキルを身につけたいと強く思うきっかけは、そうした職場環境が大きく影響していた。
 「君の言いたいことは大体わかった。けどな、わしからしたら君は甘いと思う。君みたいな家族を持った男が言うセリフとは思えへんな。どんな会社に勤めても、グッとこらえなあかんときはなんぼでもある。それはうちかって例外やあらへんで」
 返す言葉はなかった。この人はまっすぐに直球で僕に話しかけてくれている。だからもう言い訳のようなことは何も話せなくなった。黙ってしまった。ただ歯を食いしばっていた。社長は自社の募集要項とその職種、経営方針と店舗内での取り組みなどについて事細かく説明をしてくれました。でもその内容は、僕が想像していた飲食店の仕事とはもっとずっと企業的でした。飲食店が存在する意義とは何か。その為の取り組みに欠かせない企業としての取り組みは何か、その指針は至極明確でした。
 「よしわかった。明日また同じ時間にここに来い。もう一回面接する」
 社長はそういって会議室を出た。取り残された僕はどうしていいのか分からなかったが、先ほどの女性がまた現れて、ニコニコと笑顔で「ほなまた明日ね」と送り出してくれた。
 まず採用される見込みはないだろう、なのになんでもう一度行く必要があるんだろう。
 次の日、社長は僕の生い立ちについて質問してきた。どこで生まれ、どこで育ち、何をしてきたのか。でも今思うと、この人はその時の内容には特に興味を持っていなかったと思う。社長が見ていたのは、自分のことを話す「僕」という人間について観察をしていたのだと思います。その間、社長はずっと僕から目を離さなかった。その目はまるで僕を見透かすように鋭く、真っ直ぐでした。
それから一通りのことを僕が話してしまうと、今度は社長にエンジンがかかった。自分はこの店をどんな店にしたいか。どんな会社に成長させたいか。その為には何が必要で、何をすべきかを、熱く熱く語ってくれた。僕はこの人が自分がこれまでどんな苦労をしてこの店を作ったのかではなくて、これからどういう風にしたいかについて語ってくれたことで、この社長についていきたいと強く思いました。是非ここで働きたい、と。

後から聞いた話では、採用者は二回面接をしてきたらしい。そして、また後から知ることになるが、社長のほか専務、料理長は全て兄弟、部門長も従兄で固められていたのです。その会社の社長に「前の会社が身内で固められていて閉鎖的環境で働くことに嫌気がさした」と面接のときに話していたのです。ですから当時はなんで採用されたのか、まるで分かりませんでした。ただの気まぐれだったのかも、と考えたくらいです。しかし今にしてみれば、そんな僕だったからこそ逆に興味を持ってくれたのかもしれません。社長の思いは、一商店から一企業へと発展させることにあったのですから。

2011年7月7日木曜日

der Zurückschauenweg ~序~


料理人の仕事は実に地味です。毎日同じことの繰り返しを、丹念に日々繰り返します。もちろん扱う食材やそれに伴う下ごしらえは、季節や仕入れ状況で変わることはあれど、毎日の仕事の段取りが大幅に変化するということは、まずありません。店がグランド・メニューとして基盤においているものの味やクオリティに変化やブレがあってはいけませんから、必然的にそうした基準での仕事というものが必要になります。
 ただお客さんは違います。毎日同じお客さんが来るわけではありません。客商売ですから、ときに様々な変化やアクシデント、要望にお応えしなくてはならなくなるのです。そしてこれに柔軟に対応する「要領」、つまりその「能力」というものが日々問われます。その柔軟な対応は、日々の地道な鍛錬の繰り返しの中でしか養われません。ベースにあるスキルがしっかりと地に根を張っていないと、のびた枝をしっかりと支えることはできません。基礎があるから、変化に対応できる…というわけです。そして大きな成果は、その臨機応変さの中のクオリティの高さで評価されます。その場しのぎ的な成果は、お客さんの心に長く留めておくことはできません。

 「いつ来ても期待通りの料理が食べられる」
 「いつ来ても満足のいく内容の料理が食べられる」
 
 これが私が考える料理人の基本姿勢です。ただ「いつ来ても…」と思っていただくためには、常に向上していなければ頂けない評価でもあります。また来て下さるというお客様の気持ちには、常に「期待感」が込められているからで、期待感は、それを上回る期待値で答えなくては満たすことができないからです。

 「飲食を通じて幸福と感動を味わってもらいたい」

 すべてはここにはじまり、これに尽きる、と私は感じているし、それを肝に銘じています。


 この場を借りて、私は私の仕事を振り返り、またこれからを向上させていく自分のために、思いのすべてを言葉という形に置き換えて、書き記し、残してていこうと思っています。