2013年9月14日土曜日

die Herausforderung

2007年1月27日に初めてドイツに渡り、Köln、Kielを経て、2013年9月9日よりMünchen市民となりました。

どこにたどり着くのか、誰にも分からない。未来の事など、誰にも分かりはしない。だったら、後は己を信じてやるしかない。とことん、自分の可能性を信じて、その未知を邁進するしかない。




2013年4月11日木曜日

der Kolonist


初心に帰ることの難しさは、自分のキャリアをクリアにするところにある。しかし新しいことへの挑戦には、この「初心」へ回帰する心構えは必要不可欠である。
開拓者であり続ける為に、自分の現状に安堵することなく、むしろ己を追いつめて、磨きをかけ続けたい。

まだ、今年の目標を掲げていなかった・・・。
今年の目標は「フロンティア・スピリッツを忘れない。恐れずに挑み続けろ」自分にそう語り続けていく。

2012年8月14日火曜日

der Wiederbeginn


boggerでのブログを再開です。

Facebookのアカウントは削除。最初は楽しかった。気の合う人との再会や、新しい情報の交換など、ネットならではのボーダーレスのコミュニケーションをずいぶん楽しんだ。しかしこの実名登録でのsnsのプライバシーに関する知識が僕には欠けていた。ブログのつもりでアップデートしていた記述は、そのまま不用意に世間に流れている現実に思い立ったんだ。

知らないうちに増えていった知人(友人)。友達の繋がりから増えていくこうした「友達登録」は、ある意味脅威ですらあった。今更登録した友達を仕分けすることも、記述したウォールの内容を整理したり、書き換えたりすることもうんざり。だったらいっそのことFBよりさようならすることを選んだ訳。

といっても、ほとんど閲覧のないこのブログ。これくらい独り言を書く程度が一番気楽なのだ。

そういう訳で、ほなよろしゅう。

2012年7月8日日曜日

irgendwohin.....


遠い記憶の中で、僕はずっと草むらの陰に隠れて平坦な空を見上げている。頬に触れる葉の先がくすぐったい。風は冷ややかで、湿っている。

僕はどうしてこうしているんだろう?
僕はいつまでこうしているんだろう?

目の前を覆う緑の茂みの中から、「ここではないどこか」に想いを馳せる。
きっと世界のどこかに、僕を待ってくれている場所があるはず。

遠い記憶の中で、僕はずっと草むらの陰に隠れて平坦な空を見上げている

2012年1月14日土曜日

おことわり

2009年7月よりはじめたこのブログですが、今後はFacebookに移行して続けていきます。
http://www.facebook.com/profile.php?id=100001429498024

時々はupすることがあるかも知れませんが、本当に気まぐれです。そして、時々は講読してくださった方、ありがとうございました。引き続き、よろしくお願い致します。😃

2011年11月29日火曜日

die Grundhaltung für Kunden


私は10年間、京都市内に10店舗の支店を持つ飲食店に勤めていました。創業30年で市内に10店舗と言う出店ペースは決して早いものではありませんが、この会社社長のポリシーが「収益のための店舗展開ではなく、常に顧客満足度を満たすための店舗展開、進出」でした。つまり店のクオリティ、レベルを落とすような出店ではなく、必ずその地域でNO.1 を実現できる事を前提に置いての出店計画を貫いていました。
事実今日でも、どの店も連日満席で週末には予約を取ることもままならない盛況ぶりです。どの店の従業員も活気と笑顔に溢れ、常に来店されるお客様の心とお腹を幸せで満たしてくれる、そんな素晴らしいお店です。
私はそこで接客マナーを学び、実際にホール係としての勤務もこなしてきました。

「なぜ、お客様の来店に合わせて『いらっしゃいませ』を言うのか?」
「『サービス』とは何を示すのか?」
「最高のサービスを目指すために何ができるか」

決して難しく考えないでください。基本にあるのは、「最も大切な人を家に招くときにするべきこと」なのです。ただそれを『仕事』として如何に昇華させるかなのです。
これらの「サービス」は私が勤めた飲食店で実践されているほか、シェラトン、ヒルトンなどの一流ホテルまたはディズニーランドにて実践されているノウハウです。もし皆さんがそのノウハウを実体験し、実践していくことができたなら、接客サービスの向上のみならず、皆さんの将来の就職や、あなたの才能を活かすためのスキルの一つとして最高のパフォーマンスを発揮すると、私は信じます。


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「なぜ、お客様の来店に合わせて『いらっしゃいませ』を言うのか?」

 ただ言うだけではいけません。気持ちのいい笑顔を添えて「いらっしゃいませ」と言わなくてはなりません。そこにはまず『感謝』の気持ちを込めなければならないからです。「数あるレストランの中から当店を選んで来て下さったことに対する『感謝』なのです。また別の角度から見ると、働ける喜びを表す『感謝』でもあります。私たちの給料はオーナーから貰うのではありません。飲食をして下さったお客様の代金から頂いているのです。お客様がいなければ、私達が得る給料は存在しないのです。当然、「ありがたい」という気持ちを添えるにはあなたの一番素敵な笑顔を添えるべきではありませんか?
 また「いらっしゃいませ」という言葉には、働く仲間、従業員同士への伝達という意味も込められています。「いま新しいお客様がいらした」というお知らせなのです。ホール係は「接客サービス」のスタートを示し、調理スタッフには調理にかかる伝達になるのです。お客様がドアを開けた瞬間から、私達の新しい仕事が始まるのです。




「『サービス』とは何を示すのか?」
 「サービス」とは何でしょう? それは何かを無償で提供することではありません。「サービス」とは付加価値なのです。本来ある価値にプラスアルファされたもの。それはお得感であり、満足度を示すものであります。何かをおまけに付けることも確かに「お得」ではありますが、それは一時的なイベント的な効果を狙ったものでしかありません。この効果は一見効果的に見えても、決して継続的効果は望めません。では何に「お得感」見いだせばいいのでしょうか?
 一番身近にあるのは、あなたの「笑顔」です。
あなたがカフェでお茶をしようとしたところ、無愛想な店員のいる店と、愛想のいい店員のいる店があればどちらを利用しますか? 同じ4Euroのコーヒーを飲むのなら、気持ち良くお茶のできるカフェを選びませんか? それはつまり4Euroにプラスアルファである「笑顔」が添えられているお店を選んだからではありませんか?

もう少し付けくわえると、「サービス」とは言われる前にやった行為のことです。お客様がナイフを落とされて、その音を聞きつけてサッと新しいものを差し出した。席に着くときに脱いだコートをさりげなくお預かりした。例を挙げればきりがありませんが、要するに常にお客様に気を配り、お客様の立場になって、「○○○して欲しいんじゃないか」という声なき声に応えることを言うのです。気の効いた行為を「サービス」、ただ言われたことをするのが「作業」。この大きな違いをサービスを担う方々は十分理解して頂きたい。当然ですが、後者の「作業」従事者が得るチップは限りなく「0」に近いでしょう。




「最高のサービスを目指すために何ができるか」
東京ディズニーランドに残る素敵なエピソードがあります。一組の家族がディズニーランド内でカメラを無くしてしまったのです。カメラを無くしたのに気付いたのは、ホテルをチェックアウトようとしたその時でした。二日間の楽しいディズニーランドでの思い出が詰まったカメラを、どこかに無くしてしまったのです。園内の落し物センターには該当のカメラはなく、スタッフは万が一見つかった時のためにその家族の連絡先を聞いておいたそうです。その一件を担当したスタッフは、家族のカメラを無くした悲しみが、なぜかとても深く、心に焼き付いていたといいます。
スタッフAさんはもう一度探してみるつもりで、家族が回ったアトラクションを全てひかえていました。しかしどれだけ手分けして探しても、やはりカメラは出てきませんでした。そこであることにひらめいたのです。スタッフAさんは、家族が回ったアトラクションの順番に、それぞれのキャラクターに出演してもらい、一枚一枚写真を撮ってまわり、それをアルバムにして家族のもとに送ってあげたそうです。
しばらくしてその両親からは深い感謝の手紙が送られてきたそうです。その時一緒に訪れた娘さんは、実は白血病でこの世を他界された、ということでした。ただ、スタッフAさんのアルバムは、息を引き取る前に彼女の下に届き、息を引き取るまでずっと枕元に置かれていたそうです。娘さんにとっては最後の楽しい思い出の、記念すべきアルバムとなったのです。

このエピソードから「サービス」は「感動」を生む、ということがお分かり頂けると思います。きっかけはスタッフAさんですが、それに賛同し、閉園後園内を探して回ってくれた同じスタッフの方たちと、アルバム作りに協力した多くの方たちの暖かい気持ちがあるのです。
一人でできるサービスには限りがあります。
チームワークで同じ目標に向かって尽くす「サービス」に限界はありません。

最高のサービスとは、「サービス」をチームで担うことではないでしょうか?

とても忙しい時にあなた一人ができるサービスには限界があります。同じホール係が連携を取り、意識を共有し、助け合うことで、より多くの成果を得ることができるのではないでしょうか。私達は意思の疎通も言語の違いで存分にやり取りができないこともしばしばですが、目標は一つです。お客様に飲食を通じて喜びを味わっていただくことです。
同じ仕事をするのなら、有意義な目標を持って働きたいと思いませんか

2011年8月24日水曜日

der Zurückschauenweg ~Ⅱ~






料理人の世界もある意味閉鎖的空間です。古い師弟制度の残る店はどんどん減りつつあり、また形骸化も否めませんが、それでもやはり料理人同士の横のつながりがあるかというと、希薄であると言わざるを得ません。
店は店ごとに売りにする看板メニューがあり、その秘伝があるわけで、レシピは門外不出というわけです。その手の内を明かさないのが暗黙の了解で、必然的に閉鎖的になるのも無理はありません。
しかし、仮にレシピを手に入れたからと言ってそのままコピーすればその通りの料理になるかというと、実はそうではありません。
作り方のみならず、食材の目利きであるとか、切り方、煮方、焼き方、そのすべてに備わる技術は歳月を経て習得して初めて得られるものであります。その極め方やとらえ方は、それを作る料理人の裁量で大きく変化します。作る料理人の人間性が出来上がる料理を完成させるのです。ですから、もし料理を習うなら、修業につくなら、レシピを追い求めるのではなく、自分が「これ」と決めて惚れ込んだ、尊敬のできる人に付いて、その人に好かれる下っ端になるのが一番だと思います。その人が何を思い、考え、やろうとしているのかを、自分の肥やしにするつもりでしっかりと観察するのです。その人を良く観察し、追求し、探究できるように努めるのです。そうして培った経験は、根っこの太い大きな幹を作り、やがて立派な「自分」という樹を育むはずです。
しかしこういう考え方は古いと言われるかもしれません。現代の流れからは逆行している、と。でもこの考え方は時間こそかかるけれど、長い将来を生きていく上で天職を見つけようとするなら、ならぜひ試してほしいやり方だとと思います。
とはいっても尊敬できる人の下に就けるかどうかで、未来は大きく左右してしまいますから、必ずしもそうできるという保証はどこにもありません。そういう意味で僕はとても恵まれていたといえます。

二七で飲食の世界に入るというのは、脱サラしてプロ野球球団に入団しようとするようなものです。若いうちから肉体を作り、技術を磨き、記録を作るという現場でもまれてきた集団の中に、まるで見当違いなド素人がそのままマウンドに立つのです。実際にはそのようなことが起こるはずもありませんが、僕はまるでその現実的ではない状況の中へ身を投じることになりました。

僕は十八、九の若者から包丁の握り方や野菜の切り方を教わりました。見渡すと高校卒業の地方出身者の若者ばかりです。もしくは大学生のアルバイト。その中で僕は明らかに年配者で、しかも棒にもかからないど素人でした。
最初の二週間くらいは洗い場で働きましたが、その次はすぐに厨房に入り「手巻き場」というポジションに入れられました。「手巻き場」とは、手巻きすしをメインとして作り、すぐ隣の「造り場」というお刺身や創作料理を作るポジションのサポートをするのが仕事でした。「造り場」に就くにはその店でも最もキャリアを経た、経験のある者しか立つことを許されておらず、扱う食材も作る商品もワンランク上の物でした。いわば厨房のメインで、その店の料理における責任者が立っているわけです。いきなりその人の隣で料理を作らなければならない。当時「造り場」を任されていたのは僕より二つ歳上の方で、大江さんといいました。とても口数の少ない人でした。口で説明するよりもやって見せる、というタイプの方でした。
「あの、僕はまるで素人なんですが、なにをすればいいんでしょうか?」
「手で巻く巻き寿司を作るんや」
「…やったことありません。できるんでしょうか?」
「誰でも最初はやったことあらへん」
その日の営業は散々でした。慣れないものですから、伝票が通るたびに心臓は震えあがり、手に付くしゃりがあちこちに散乱して、持ち場は惨憺たるものです。出来上がるものも、とてもお金をもらえるレベルにはありません。僕はただただ恥ずかしくて、目の前を通り過ぎるアルバイトの学生に終始笑われている気がして、すぐにでも逃げ出してしまいたかったのを覚えています。
そんな僕を大江さんは最後まで面倒見つづけました。自分に溜まっていく伝票をこなしながら、僕の作業を見て、冷静に指示を出し、修正するところを修正し、最後までフォローしてくれました。大江さんが感情的になったのを、僕は一度も見たことがありません。
「毎日やっとったら上手くなる。けど最初から上手くはできひんもんや」
多くは語らないけれど、大江さんのその一言一言が、いつも僕の心に沁みていました。
しかしその大江さんは僕が入社して三ヶ月後には退社して故郷の家業の電気屋を継ぐことが決まっていました。ですから僕は最後の弟子になったのです。

大江さんが店を去って、新しく「造り場」に入ったのは、支店から配属された一つ上の方で、中江さんと言いました。大江さんが無口で包容力に溢れていたのに対して、中江さんは神経質で、感情的で、誰よりも仕事に厳しい方でした。できない事が許せなくて、できない者を頭ごなしに叱りつける人でした。それまで穏やかだった厨房は、中江さんの転属で地獄の強化合宿のような雰囲気になったのです。週末にはその檄が一段と拍車をかけ、罵声ともつかない声となり、厨房に響き渡っていたのです。
しかし中江さんは僕を他のものと同様には叱りませんでした。年が近いせいでしょう。想いの半分くらいで辞めてしまうので、逆に僕としてはやりにくかった。何をどうしてほしいのか、ちゃんと怒鳴ってくれればいいのに…、といつも居心地の悪さを感じていました。
そんな中江さんと酒を飲む機会がありました。あまり人付き合いのいい人ではなかったので、その機会は本当に稀なことだったのですが、その席で中江さんは僕にさしでこう言いました。
「田中さん、あなたは自分の歳を分かって仕事してますか? 僕らの職場はご存じのとうり、みんな年下です。仮に田中さんにこうしてほしい…例えば単純にアレ取ってほしい…って思っても、言われへんのです。できてへん、ほんまはこうしなあかん…そう思ってても言われへんのです。だから田中さんは、そういう言わへん言葉にもっと耳を立てて仕事しなあかんのです」
そう言われて、目からうろこでした。僕が料理が遅くても露骨に言葉を放つ人もいない。やらなアカンことをできてなくてもきつく叱ることもない。やってほしいことも敢えて他の人に頼む。僕は自分の仕事ができていない事は分かっているつもりでしたが、それでもじっと我慢してくれてる年下の先輩の厚意に甘えていた事を思い知らされました。


最初に出会ったこの二人の先輩がいなかったら、或いは僕は違った料理人を目指していたかもしれません。尊敬できる人との出会いというものは、人生を豊かなものにしてくれます。物の見方を学び、考え方を知り、何を感じるか、何を求めるか、それを探求することを知る。すると世界が変わるのです。自分が変わると、見えていた世界が変わって行く。その発見は僕の人生の大きな礎となりました。