2009年9月29日火曜日

見つけた、小さい秋


先週の休みに見つけた小さい秋です。ドイツの紅葉は短くて、ちょっと油断しただけで見逃してしまいます。一気に色付いて、さっと散る。情緒と言うほどの猶予はありません。だから見つけたときにパチリと残しておこうと思いました。


アパートの壁を伝う蔦の紅葉です。青空に映えて素敵でした。

PORSCHE


こっちに来た当初、言葉の面で色々お世話になっている方に同行してポルシェのお店に行ったことがあります。

オーナーが持ってるポルシェの電気系統の修理、メンテナスの為の交渉かなんかだったと思う。そう言うドイツ語の会話を間に立たされて聞いていても当然ちんぷんかんぷんで退屈していたら、気を使ってくれたのか、ディーラーの方が僕に色々なポルシェの試乗をさせてくれました。


申し訳ないんだけれど、僕は全くと言って「車」に興味がありません。日本にいるときも自分の車を所有することはありませんでした。買う必要性を感じなかった。京都市内だと土地は平坦だし、ほぼ全域を自転車でフォローできるし、観光都市なので交通機関も充実している。万が一車を所有してもガレージ代は高いし、保険や車検なんかばかばかしい。奥さんは免許持ってないし、使用頻度もかなり限定されてしまう。たまの連休、遠くに出掛けるときはレンタカーを使った。そのほうが、そのときの気分で好きな車に乗れるし、メンテナンスなどその他の細かい雑務に気を取られる必要もない。

だから、たぶんこれからも僕は車を買うつもりはない。


そんな僕にディーラーの方はペラペラと分からん言葉でポルシェのすごいところ、いいところを力説してくれた。しかしそうして何台か乗っていくうちに、「こいつでアウトバーンをすっ飛ばしたら気持ちいいだろうな・・・・」と、珍しくも興味がふつふつと湧いてくるのです。もちろん湧いてくるだけで、やはり金額を見て到底わたくしには手の届かない高嶺の花であることに直面するわけなんですが・・・・。

2009年9月17日木曜日

あちら側


こういうことを書くと僕を変に思うかもしれない。


信じるとか、信じないとか、人それぞれだと思うけれど、それが見えてしまう僕にとっては「本当」だろうが「気のせい」だろうがどっちだっていい。ただ、僕には見えてしまうときがある。いつもと言うわけじゃない。たぶん波長のようなものが会ったときに、その体験は訪れる。



以前書いたけれど、僕の祖父が他界したときに、祖父は僕の枕元に立ちました。幼い子供の記憶だから、どこかで作り上げた虚像だったのかもしれない。そんな風に実際に片付けられてしまうのがオチなんだろうけれど、そう言うことが何度も起こると、なにが本当なのか、なにがそのときに起こったことなのかは僕自身が一番よく知っているという「確証」だけが残ることになる。



インターネットの世界でもそうした体験談や映像があちらこちらに取り上げられているわけだけれど、その多くは胡散臭いものが多い、と思っている。


本当に体験した人にしか分からない「感覚」と言うものが、・・・・やはりある。


僕の場合、それは不意にやってきて、通り過ぎていく場合がほとんど。それによって何か害を与えられたことなんてない。ただ後味の悪さや、得体の知れない不安・・・のようなものを植えつけられるだけ。多くの古い記憶は時間の経過とともにその輪郭を不確かなものへと経過させていくけれども、その体験から得られる記憶は長く僕の中に生き続けてしまうことになる。端的に言うと、それが僕にとって「体験する」と言うことなのだ。


見えるはずのないものが見えてしまったり、または「そうなるであろう」ことが見えていたりする。信じようが信じまいが、それが本当の話なんです。




2009年9月14日月曜日

Federweisser


昨日の休みに友人宅で今が旬のFederweisserを頂きました。


地域によりBitzler、Sauser、Rauscher、Brauser と呼ばれるドイツ秋の味覚Federweisser(フェダーヴァイサー)はワインになる途中で生まれるぶどう果汁です。発酵中、樽の中でフレッシュな果汁と共に酵母が活発になります。ぶどうの糖分がアルコールと炭酸に変わり、果汁も白く色付きます。この自然に発生する白色がグラスに注がれるとき、羽のように見えることからFederweisser(白い羽)と名付けられるようになったそうです。

このFederweisser,甘いぶどうジュースに似た味がしますが、発酵が進むにつれアルコールはさらに含み辛口になります。アルコールが4%くらいになると出荷され、その後も発酵は進み、最終的には11%にまでなるぶどうの発泡酒。その昔、冷蔵輸送の技術がなかったためにワイン生産地でしか手に入らなかったのですが、今ではスーパーやワイン専門店で秋の到来とともに気軽に手に入れることができます。出荷後もそのように発酵が進むために瓶を栓することができない。破裂の恐れがあるからです。当然、日本ではお目にかかれない逸品・・・と言うわけです。

甘くて飲み口もいいし、ついつい飲みすぎてしまうのですが、アルコールはしっかりあるので要注意です。
しかしこの日友人と二人で二本を飲み干してしまいました。あてはフランス土産の鴨のテリーヌと、フォアグラ。贅沢にこれらをパテにしてバケットを頂く。辛口のサラミと濃厚なパルメザンチーズにブリーチーズ、これらがまたFederweisserに合うんだな。こまったこまった・・・。

2009年9月11日金曜日

さてさて・・・


フランスのレストランとの交渉は給与面で合意せずお流れに。

あかんでもともとでしたけど、ちょっと残念です。しかし永久ビザの取得を視野に入れる以上、もうしばらくドイツで頑張った方が懸命かも・・・。もう一軒ミュンヘンのレストランとも交渉をはじめていますが、なかなかお互いの条件に見合うところまでこぎつけなさそうです。

もう少し、広い視野で探してみようかな・・・。


この頃のドイツは、日中こそ30度近くなりますが(越えることはないな)、朝晩はかなり冷え込むようになってきました。コートを着はじめている人もいるくらいです。秋ですよ、秋。

日本の秋が懐かしいです。もっとも日本が秋らしくなるのはまだまだ先のようですけれど。

ドイツの秋は短いです。紅葉がものすごく早く終わる。ばっと赤く染まったかと思うと、一気に落葉です。灰色の季節、冬に支配されちゃうんです。うつろいゆく秋の深みに情緒を得ることは難しいです。残念ながら。


写真はこっちに来る前に撮った最後の日本の紅葉です。ほんと、懐かしいですねぇ。

2009年9月7日月曜日

Neptunbad


昨日、300人のパーティーの料理を担当しました。

とある日本文化施設の創立記念日のレセプションです。配達時刻は午後3時30分の約束でしたが、到着したのは、まさにジャスト3時30分。ホントぎりぎりまで作ってました。中でも細巻き200本はきつかった。これを1時間半で巻ききった訳ですが、時間にして約30秒で1本のノルマです。まさに持久力勝負でした。最初はホント調子いいのです。15秒くらいで1本くらい巻くのですが、さすがに50本を越えるくらいでうんざりしてきます。マジで。

でも一応レセプションも盛況に終わったみたいでやれやれと胸をなで下ろしています。写真を撮ろうと思ってたのですが、当日は結局バタバタの連続ですっかり忘れていました。


この日は終わってからサウナに行ってきました。(上の写真がそうです)

体の疲れをほぐすにはサウナが一番です。僕がよく行くサウナは日本をイメージして壁には北斎の「赤富士」が描かれている岩風呂があったり、訳もなく屋上に鳥居があったりします。(神社があるわけではないです) でもドイツに来てほぼ毎日シャワー生活をしていると大浴場でゆっくり浸かったり、体から搾り出すように汗をかいてザブンとプールに飛び込んで泳いだ後に、ふえぇぇぇと岩風呂でリラックスできるとなると、そりゃもう極楽です。

ドイツにいると湿気がないので暑くてもまず汗をかくということがありません。だから体の代謝機能が麻痺したような気分になるので、こうして気持ちよく汗を搾り出すと、体の忘れていた機能器官が春の息吹を感じる植物の芽のように生き生きと活性化しはじめるのを実感できます。大袈裟に言うようだけれど、これは実際に体験してみないとわからないです。

ただし、日本のサウナと大いに違うのは、ドイツが完全に混浴・・・・なのだと言うことです。更衣室からして共同です。だからもちろん初めはかなりのショックを受けます。老いも若きも、皆がうまれたまんまの姿です。羞恥心と言う言葉の意味を、ここに来てどういう意味だっけ・・・・とウィキペディアで調べなくては・・・と思っちゃいます。慣れって怖いですね。

僕のよく行くサウナのアドレスはここです。

www.neptunbad.de

詳しくはこのサイトをご覧下さい。ドイツ語のサイトですが、写真が載ってますから大体は想像できるかと思います。

2009年9月1日火曜日

遠く離れて・・・


初めて飲食の世界に入ったのは27歳の時だった。周りは早い子で高卒。

僕は明らかにおっさんだった。僕は自分よりも10歳くらい違う年の子に包丁の持ち方や食材の扱い方を習いました。多分、僕よりも相手のほうがやりにくかっただろうなと思います。不満や苛立ちもあっただろうに、黙って根気強く教えてくれた皆に感謝しています。そうしてお世話になった店に、先月奥さんが一時帰国した際に立ち寄ってくれたのですが、あまりの変化にかなり驚いたと言っていました。

僕を育ててくれたその店はいつも活気があって、働く人間に活力と魅力がありました。ただ外食に来ただけだけれど、何故か元気をもらえる、そんな店だった。

「いまの×××は違うで。もうあの頃の活気はあらへんかった」

そう聞いたとき、本当にがっかりしてしまった。実際に自分の目で見たわけじゃないから、そう簡単に肩を落とすのは早いのかもしれない。でもその店の求人広告を見つけて真っ先に「受けに行ったら?」と薦めたのが奥さんだった。奥さんは学生の頃からその店にはよく通っていた常連だった。そんないきさつがあったから、奥さんの言う「失望」という感想にあながち疑心暗記になることもできなかった。

もし僕が日本に帰ったら、真っ先に立ち寄るとするなら、それでも僕を育ててくれたそのお店に真っ先に行きたいと思います。そこの社長と奥さんに会って、当時のことを深々とお礼を言いたいです。
でもまだまだ帰る予定はないんですけれど・・・。