27で料理の世界に飛び込み、37で渡独。Köln Kielを経て、現在München在住の日本食料理人。47で新しいスタートを切るべく日々精進を続けています。行ける所まで、とことん挑み続けよう。
2009年12月31日木曜日
Silvester (大晦日)
大晦日です。天気はあいにくの雨模様。でもこれが雪にならないだけ寒さもマシというもの。実際、さっきまで換気のために窓を開けて、それでいて暖房も入れてなかったのですが、フリース1枚でも耐えられました。こっちの住居の断熱効果や外気との密閉度の高さはかなりのものです。しかし、その分冬でもこうして換気のために窓を開けないと匂いが籠っちゃうんです。あったまった空気を一気にひんやり入れ替えると頭もすっきりするし、気分転換にもなります。
今日はこの後友人宅ですき焼きをして新年を迎えます。
やはりすき焼きには「生卵」だろう・・・・と意を決して新鮮そうなのをゲットしてきました。
よい年を迎えられるか、新年早々に運だめしです。
さて、来年はどんな年になるだろうか? 新しいことをはじめられるよう、うまくその波を感じ、そしてそれに乗れるように、心のアンテナをピンと張っていきたいと思います。
それでは・・・・よい年を。
2009年12月30日水曜日
誕生日
誕生日が終わりました。特に変ったことはなし。
朝のうちにせっせと掃除と買い出しを済ませました。何しろ店がみんな閉まってしまうから買いもらしは命取りです。日本は24時間、不眠不休でお店を開けているんですが、こっちは法律で店を開けてはならないと定められているのです。(命取りは大袈裟か・・・)
昼からは店の棚卸。そして仕込みをして営業。本日も満席になりました。ありがたいです。
今は帰ってビールで一息ついているところです。やっぱり仕事の後の一杯はうまいな。
写真の品は、店から頂いたスペイン産の赤ワインと、友人から頂いたフライパン。
このフライパン、LE CREUSET 社製! 嬉しいです。こっちではかなり有名メーカー。日本でも取扱店はあるんですが、プレスして作るフライパンではなくて、鋳型に落として作るかなりのすぐれもの。熱伝導率はいいし、丈夫だし、一生物です。大事に使おうっと!
それと、今日嬉しいNEWSがありました。オーナーが知人を通じて聞いたのですが、うちのレストランにフランス・ミシュランの三ツ星シェフがお忍びで食べに来ていたそうで、その方が「久しぶりに美味しい寿司を食べた」と大変満足していた、という話です。
同じ飲食の世界にいる方にそう言って評価していただくと嬉しいものです。まして星を獲得したシェフの言葉なら尚更・・・ですね。
なかなかいい誕生日でした! これまでの努力が実りあるものと評価される。ありがたい誕生日プレゼントになりました。感謝!!
2009年12月28日月曜日
年の瀬
静かですね。通りに人影はほとんど見かけません。一応ドイツの暦では、今日から平常通りの生活がはじまるわけなのですが、ほんと「静謐」という言葉がぴたりと当てはまります。
店は今日から30日までは夜のみの営業です。大晦日と元旦にまた休んで、年始は2日の夜から。
こんな様子だから今日はきっと暇なんだろうな・・・と思いきや、予想以上にお客様が来店されました。常連のお客さん用に日本から小皿を買って帰ってきていたので、それぞれをお配りしました。皆さん大変喜んでくださって、重い目をしながらも「うんせこらせ」と持って帰ってきた甲斐があったというものです。
さて、今年もあと残すところ3日です。
何か新しいことをはじめたい・・・と思う今日この頃。日本までの長い旅路の中で、考えるともなく漠然とさまざまな事を想い、それを自分の胸に具体的に形を起こしていました。うまくまとまることもあれば、そうでないことも・・・・、いえ、まとまらないことの方がずっと多かったのですが。
30日には早いもので40になります。人生の半分・・・に差し掛かったかな・・・なんて。
歳をとったのか、これまではかからなかった時差ぼけに、今かなり侵されています。やれやれ・・・。
2009年12月27日日曜日
世界の比較
近くの公園。寒さはずいぶんと和らいでいた。
クリスマスを終えての週末で、人々の姿はまばら。辺りはしんと静まり返っていた。
締め切ったままのクリスマス市の屋台。週明けには撤収作業がはじまり、来年まで長い眠りに就く。
街に出ると店は片っ端からしまっていた。開いているのは飲食店くらい。その店にも客の姿はまばらで、働いている人も明らかに「退屈そう」にしている。
僕はと言えば、早速であるが、サウナに行ってきた。
日本で銭湯に行ってきたんだけれど、湯船のお湯もサウナの温度も熱すぎて、ちっとも楽しめなかったのだ。もちろん以前はそんなことありえなかったのだが、慣れって恐ろしいものですね。
というわけで、いつも行くサウナに3時間みっちり入ってきました。ここには岩風呂や露天風呂もあるんだけれど、それにつかりながら辺りを眺めていたら、つくづく世界ってさまざまなんだな・・・・と思いました。
こっちは全くの混浴。老いも若きも男も女も、みんなが生まれたまんまの姿で楽しく入浴やサウナを楽しみ、談笑している。日本でサウナに入った時に同室したサラリーマン風中年男性の3人組は不景気と政治家に対する不満をぶちまけていた。
一日が過ぎて、こうして人々の営みをするともなく比較してみると、大きな視野で物事を考えることは、とても意義があると、思うのです。
故郷 ~ふるさと~ ②
今回、あまり写真は撮らなかったんだけれど、街に出ると裏通りを撮っていた写真が多く目立つ。ここは、僕が知っているころとは打って変わって整備され、きれいになっていた。
昔からあるLOFT。僕がよく通ったのは、まだ「VIVRE」だった時代。
まだその名前はのこってるけど、この4Fだったか5Fにあった公開ラジオスタジオに確かチェッカーズが来たんだな。もう20年以上前の話だけれど。
結局のところ、僕は川の流れている街にしか住めない・・・気がする。近くにこういう川が流れていると、気持に余裕が生まれてくる。川が流れるところでは、風が流れ、空が広がり、そして雲の流れを見届けることができる。
もしかしたら、僕は根無し草なのかもしれない。
故郷 ~ふるさと~
ドイツに帰ってきました。短く、それでいて、またいろいろなことを考えるには濃密な時間が、故郷には流れていました。
正直言って、僕は故郷を捨てた気持ちでいました。事実、再び会うこともない人もいるのですが、それでも僕をやさしく、そしてあたたかく迎え入れてくれる人たちがいることに、胸が熱くなった。
もう先のない義父は、別れ際にこう言いました。
「気ぃつけて・・・」
病に伏してなお、長旅を案じてかけるその言葉に、ふかい想いを感じ、目頭が熱くなった。
おそらくは、もう二度と会うことはないその義父の言葉に、いろいろなことを考えさせられた。
懐かしい職場を訪れた。「今頃何しに来たんや」とあっさり返されたらどうしよう、なんて考えていたけれど、社長はじめ、社長夫人、専務、部長、調理部長、各部門長の方々から、多くの励ましの言葉をいただいた。
「1年で音を上げて帰ってくるだろうと思っていたけれど、なかなかお前、根性あんな!」「大したもんや」また背中を押していただいて、また一歩先に歩み出す勇気を下さった。
僕は、一人じゃない。
その多くを、人生は熱く語りかけてくる。
「感謝」という言葉が、出会う人の数だけあるような気がする。
2009年12月19日土曜日
雪化粧
シベリア寒気団
今日の午後から降り始めた粉雪。地面に落ちても溶けることなく、まるで粉砂糖のように路地を覆いはじめる。
ヨーロッパ中を席巻するシベリア寒気団が明日、ドイツに本格的に上陸する模様。なんでも最高気温が氷点下以下らしい。確かにこの寒さ、もう「痛い」。この痛い寒さ、日本にはない種類の寒さです。
そして夜には御覧の通り。もう5センチは積もってる。それにまだまだ降りつづいてる。明日、飛行機は無事飛ぶのだろうか? いや、それ以前に空港行きの列車がきちんと出るのか・・・不安だなぁ。
ヨーロッパ中を席巻するシベリア寒気団が明日、ドイツに本格的に上陸する模様。なんでも最高気温が氷点下以下らしい。確かにこの寒さ、もう「痛い」。この痛い寒さ、日本にはない種類の寒さです。
家の前の本通りもこんな感じ。街路樹にぶら下がってるクリスマスイルミネーションが、ちょっとだけ様になって見えます。
さて、これから荷づくり。着替えくらいしか持たないので気楽なもんだ。
三年ぶりの日本。ただの休暇というわけではないので、まったく心は浮かないが。
長いフライトの時間、いろいろ考え事・・・・するんだろうな。取り留めもなく・・・・。
2009年12月14日月曜日
昭和
自分はまるで中学くらいのころから、何も変わるてないな・・・と、思うことがある。
思春期に、少年は自我に目覚めはじめる。そしてようやく世界に目を向けはじめる。
自分という存在の在りか。 どこから始まり、どこで終わるというのか?
誰に言われたわけでもなく、漠然とそんなことに気を病み、将来に不安を感じはじめていた。
初めて恋をして、でも気持ちと裏腹な言葉や行動で、手からこぼれおちていく「想い」に歯ぎしりし、こっそり泣いていた。
自分の実力を初めて比べられ、それまでの器の小ささに愕然とした。
今いる場所を早く抜け出したくて、一人立ちする日を恋焦がれていた。
いやでも認めるしかない自分と、愛おしい自分がここにいる。
あの時代をもう一度やり直したいとは、思わない。もしそれが叶うといわれても、「勘弁してほしい」と断るだろうな。
だって、今の僕がここにいるから。
ここからはじめられることでしか、僕ははじめられないから。
思春期に、少年は自我に目覚めはじめる。そしてようやく世界に目を向けはじめる。
自分という存在の在りか。 どこから始まり、どこで終わるというのか?
誰に言われたわけでもなく、漠然とそんなことに気を病み、将来に不安を感じはじめていた。
初めて恋をして、でも気持ちと裏腹な言葉や行動で、手からこぼれおちていく「想い」に歯ぎしりし、こっそり泣いていた。
自分の実力を初めて比べられ、それまでの器の小ささに愕然とした。
今いる場所を早く抜け出したくて、一人立ちする日を恋焦がれていた。
いやでも認めるしかない自分と、愛おしい自分がここにいる。
あの時代をもう一度やり直したいとは、思わない。もしそれが叶うといわれても、「勘弁してほしい」と断るだろうな。
だって、今の僕がここにいるから。
ここからはじめられることでしか、僕ははじめられないから。
2009年12月13日日曜日
耳を澄ませて
今週末に一時帰国する。
以前事務的な要件を兼ねて、とあったけれど、そればかりではなくなった。
義父が、長く大病を患っていたのだが、もう先が長くないらしい。
3年ぶりの帰国だが、心浮かないのはそのせいだ。
最近、この曲をよく聴きます。心が、静かになる・・・。
以前事務的な要件を兼ねて、とあったけれど、そればかりではなくなった。
義父が、長く大病を患っていたのだが、もう先が長くないらしい。
3年ぶりの帰国だが、心浮かないのはそのせいだ。
最近、この曲をよく聴きます。心が、静かになる・・・。
不満足
僕の仕事は感覚的すぎるきらいがある。
直感で何かを判断し、選択することがある。
もし経営者なら、そこに数字が存在する。データだ。損益分離点、F/Lコスト、人事生産性・・・・・。
結果として、その選択(直感的判断)は結果を伴って成果に結びついているが、もし僕が独立して資金運営していくとなると、はたしてどこまで通用するのか、そこが大いに不安だ。
自分の弱点を知っているだけ、まだ救いがあるだろうという、加護な判断だけで、現実問題「歩」を先に進めるわけには行かない。
もう40なのに、なんてだらしないんだろう。
それでも敢えて、僕は僕の求める店へのビジョンを下にまとめてみようと思う。
店はチームである。一人の料理人の腕だけで客が集められるというのは大いなる過信だ。
まずは優秀なサービス係の存在が必要。料理の腕前はその次。
如何に、優秀なサービス係を育てられるか。
日本のカスタマーサービスは、ここドイツでは確実にビジネスチャンスに繋がる。ホスピタリティ精神に伴うサービスを、飲食店で実践していく。それは顧客満足ではなく、顧客感動だ、と述べたのは、確か「東京ディズニーランド」について書かれたビジネス書だったっけ・・・。
料理は常にぶれないレベルと、向上していく野心。これが必要。
同じ料理を提供の仕方、演出の仕方で、売り上げを逆転してきた例を、僕は何度も見てきた。
料理人は、客のために存在しているエンターテナーであるという自意識が不可欠。
そのテーブルを、料理で如何にどう感動させるか。味なのか、ボリュームなのか、提供方法なのか。発想の転換ができなくなったら、料理人はおしまいだと、僕は思っている。
・・・・ふぅ。何だろう。この自分への不満足は・・・・。
2009年12月12日土曜日
チップ
日本にいるときには経験しなかった「チップ」という仕組み。
飲食店なんかで気の利いたサービスを受けたり、美味しい料理を食べさせてくれたりした感謝の気持ちを、代金に上乗せして「気持ち」のお金を置いていく仕組み。
だから満足いかなかった場合は無理に払う必要はないんだけれど、それでも形式上、礼儀的に払っているのがこの「チップ」という習慣。
僕は初めて板場に立って頂いた「チップ」の2ユーロ硬貨を、今も使わずに残しています。初めて海外で受けた勲章のつもりで。
・・・で、上の写真は先日来店くださったお客様から頂いたチップの1ドル銀貨。
結構重いんですよね、これ。
(追記)
この硬貨、「アメリカン・シルバーイーグル」とか「歩く女神」とか呼ばれていました。
額面は1ドルですが、地金型銀貨であるため、硬貨に含まれている純銀の量は額面価値の1ドルを超えてるみたいです。で、この硬貨の取引は銀の相場で変動するようです。(Wikipedia 参照)
さらにネットで調べたら、日本では4000円で取引されてました。
飲食店なんかで気の利いたサービスを受けたり、美味しい料理を食べさせてくれたりした感謝の気持ちを、代金に上乗せして「気持ち」のお金を置いていく仕組み。
だから満足いかなかった場合は無理に払う必要はないんだけれど、それでも形式上、礼儀的に払っているのがこの「チップ」という習慣。
僕は初めて板場に立って頂いた「チップ」の2ユーロ硬貨を、今も使わずに残しています。初めて海外で受けた勲章のつもりで。
・・・で、上の写真は先日来店くださったお客様から頂いたチップの1ドル銀貨。
結構重いんですよね、これ。
(追記)
この硬貨、「アメリカン・シルバーイーグル」とか「歩く女神」とか呼ばれていました。
額面は1ドルですが、地金型銀貨であるため、硬貨に含まれている純銀の量は額面価値の1ドルを超えてるみたいです。で、この硬貨の取引は銀の相場で変動するようです。(Wikipedia 参照)
さらにネットで調べたら、日本では4000円で取引されてました。
2009年12月8日火曜日
見えてくるものと、まだ見えないもの
この頃よく、この先10年後についての自分を考えさせられる場面に直面します。
そのひとつ。オーナーから店ひとつを譲り受けないか、という話。
ありがたいです。ほんとにそう思います。
なかなか店ひとつを自分のものにするにも、その過程における煩わしい事務的な手続きが目白押し。それが外国ならなおさらのこと。「これは単衣にチャンスなのでは・・・」と思いつつも、なかなか今一歩踏み出せないでいる自分がいるのも事実。
一人の料理人であり続けたい、という気持ちは、そのままオーナーになることと同意なのか?
不透明です・・・・、まだ見えてこない・・・・という気持ちが正直なところ。
僕は物事に決断を下すのにとても時間がかかる方。でもいったん下した決断には他人がどんなに口を挟もうが、断として受け付けない性質(たち)です。かれこれ40年近く生きてると、いい加減自分の性分というものを理解するようになる。
そうこうしているうちにそのチャンスを逃してしまうのかもしれないけれど、そうなればなったでそういう運命だったんだ、と達観してしまうんですね。
とにかく、まずは自分がうまく納得すること。それに尽きる。
答えを焦る必要はないはずだ。・・・そう思っています。
2009年12月3日木曜日
経験から学んだこと。
今の店を任されるようになって2年・・・と少し、かな。それまで低迷していた売り上げに歯止めをかけ、今ではこの不況下でもランチタイムは連日のように満席という状態。
地道に繰り返してやってきた方針が、今こうして実ってきていると実感しています。
では、何をやってきたのか、それは次の3つ。
① お客様を心から歓迎する。
② 働く仲間に感謝する。
③ 今ある自分が、周りによって活かされているということを忘れない。
この方針が、結局は売り上げ向上に繋がるのです。
- お客様に喜んでもらいたいから、美味しい料理作りに力を注ぐ。
- 気持よく食事をしていただきたいから、気持の良い接客サービスを心掛ける。
- 店は一人でできているわけじゃない。すべてはチームワークで成り立っている。
- 同じきつい仕事なら、できる限り楽しくやりたい。だからこそ同じ働く仲間を気遣うことを忘れない。
- 僕を頼ってくれる人がいるから、僕を評価してくれる人がいるから、「美味しかったよ、また来るね」と言ってくださるお客様がいるから、僕はまた前に進める。その活力を、僕は必ず周りからもらっているんだということ。
こうして培った環境は、人が人を呼び、福が福を呼ぶ。この連鎖を絶やさないこと。これが、僕が40歳を目前にして経験から学んだこと。
そう、まだまだ学べることはたくさんありそうだ。
・・・しかし、ドイツ語は全く成長しませんが・・・・・。
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