こっちにいる人に多くの場合共通して言えることは、素直に自分の非を認めない、ことです。
ハタから見てそれは絶対おかしいだろう、ということでさえも、その原因は他者にあると平然と言えること。自分に非はない、もしくは間違っていないと信じて疑わないから、そう言う人と関わっているとストレス・・・たまります。
例えば、オーダーを「トロ」なのに「とびっこ」と間違えて通してしまった。この場合僕は当然注意しますよね。「全然違うじゃないか。もっと正確に確認して通してくれ」と。しかしこの場合だって「だってお客さんはとびっこって言ってました」の一点張り。挙句の果てにはお客さんのところまで言って「とびっこって言ってましたよ」といいに行く始末。
・・・・疲れます。
欧米社会、それは自己主張をする国なんですね。
例えば赤ん坊が泣いていても「よしよし」なんてあやしません。むしろ親は少し煙たがったり、迷惑そうな表情を浮かべるのです。赤ん坊の主張と、親の主張が交錯するだけ。親が折れて子をなだめると言う光景は、こちらでは本当に稀なんです。
少し話は違いますが、列車が平気で遅刻します。時刻表なんてあってないようなものです。何も知らずにドイツで列車の旅をしようものなら大変な目にあいます。特に乗り換えなんか、時間に余裕がないような連絡は危険極まりないです。僕の友人なんか目の前で乗り換えする列車が出発していく様を歯軋りしながら眺めた経験を持っています。
僕だって、空港駅で人を見送りして帰りの列車を待っていたら、ホームが列車到着の2分前に変更になり、しかもその変更したホームが、全く違う地下鉄のローカル線だった時があります。僕は電光掲示板に映されたその文字にいち早く気がついて走ったのですが、それでもギリギリ間に合ったという有様。大きな荷物を持っている旅行客にはおそらく気が付くことすらできないような感じの出来事でした。
あるとき乗客と乗務員の間で口論があって眺めていたのですが、列車の遅れに関してのクレームだったのですが、職員にしてみれば、その列車の遅れは俺の責任じゃない、と平気で客の文句を払いのけるのです。「あんたには気の毒だけれど、そのことで私を責めたって仕方がないんだ。筋違いというもんだよ。とにかく列車はあと少しで着くと思う。待つしかないだろう?」てなもんです。
そう言う社会の中で生活していると、だんだん気持ちがおおらかになっていく気がします。というか、そうならざるを得ない・・・というか。そうでないと身が持たない・・・んですね、きっと。
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