祖父について
人生の節目節目で、いつも気がつけばその人の背中を探していた気がする。
その祖父は、僕がまだ小学三年のときに他界した。癌だった。
今でもその当時のことははっきりと覚えている。
授業中に職員室から人がやって来て担任に何か耳打ちをした。担任は少し顔を曇らせて僕のところに来て、「今日の授業はもういいから、教科書をまとめてすぐに家に帰りなさい」といった。
理由はその時何も話さなかった。でも直感的に今何が起きているのか、空気は読めていた。僕はまだ入学したばかりの妹を校門で待ち、一緒に家に帰った。まだみんなが授業を受けているのに正々堂々と下校できる優越感のようなものがあったのを覚えている。
そうなのだ、僕には祖父の「死」と言う現実についてまだ何も知らなかった。
家に帰ると父母もあわてていた。急いで荷物をまとめて車に乗り込み、大阪にいる祖父母の家に向かった。この車内で初めて事の重大さを知った気がする。いつもならわいわい騒ぎながら、ラジオの流す歌謡曲を一緒に歌いながら、さながらカラオケ同然だったムードもその時には微塵もなかった。
「おじいちゃんがあぶない」 母がそう短く端的に告げた。
家に着くまで僕は黙ってずっと外を眺めていた。大阪に向かう道のりはずっと灰色だった。軒を連ねる工場やそこから立ち上るいく筋もの煙、高速道路のガードレールや、道幅を寄せるように走るトラックも、空も、山も、川も、何もかもが灰色に見えた。
「いやだな・・・」 僕にはその重苦しい空気が辛かった。ときおり父と母が鼻をすすった。妹は黙ったままだった。気がつくと、僕は後部座席に横たえて、嫌な汗を額に溜めていた。息が苦しい。体中がほてっていて、喉がすごく渇いている。それでも何も口にしたくない。少しでも口にしたとたん、胸までせり上げている何かを吐いてしまいそうだ。途中で気がついた母が「どうしたん? 大丈夫か!?」と額に掌をあてる。「この子熱あるみたいやわ」
「もうすぐで着く。我慢できるやろ」 父はスピードを上げた。
家に着く少し手前で気分が落ち着きはじめた。
辺りは少し薄暗くなりはじめている。と言うか、周りがすっかり灰色に覆われている・・・・と言う印象が深い。何度か見かけた親戚の叔父さんや叔母さんが小走りに母屋に向かっていた。その横を車で追い越し、路肩に止めて、すぐに玄関に連れて行かれた。
「はよ行き! まだ間に合うから」 誰かがかすれる声で言った。
愕然とした。見慣れたはずの祖父母の家の居間に大勢の大人たちがいて、土色に痩せ衰えた一人の老人を取り囲んでいたのだ。
「よう来た! はよおじいさんに挨拶せい」 叔父さんにそう促されて跪いたが、横たえる痩身の老人は天井に視線を向けたまま、僕達にはまるで気付いていない様子だった。
僕にしてみても、それが大好きだった祖父だとは思えなかった。それは他の誰かであり、現実ではないどこかよその出来事のように思えてならなかったのだ。
体の力が、急にぐらりと傾いて抜けていくのを感じた。
様子がおかしいのを母が見て、僕はすぐに離れに連れて行かれ、用意された布団で泥のように眠った。
どれくらい眠ったのかは分からない。気がつくと、薄暗い天井がある。どこだろう・・・と思うよりも先に、僕は祖父がそこにいることに安堵していた。
祖父は、僕の足元の少し先に立っていた。
「なんだ、そんなとこにいたんや」 と、僕はやはり安堵する。僕の知っている祖父はそこにいたのだ。祖父はいつもの優しい微笑を浮かべて、僕を見下ろしていた。やがて祖父が僕に手招きをしていることに気がついた。もっと近くにおいで、と言うかのように。でも重い僕の体は思うように動かなかった。
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