日本時間 7月28日午前11時01分、一人のアーティストが亡くなった。
川村カオリ 38歳
20年前、僕は20代を目前にして、得体のしれない「フラストレーション」を抱えた日々を繰り返していた。
今でもはっきりと覚えている。僕が初めて彼女のアルバムを手にしたのは2枚目のアルバム、「CAMPFEIRE」だった。
駅前の小さなレコード屋だった。いつもなら入らない、とても小さなレコード屋で、勿論売っているのは99パーセントCDなんだけれど、雰囲気がもうまるでレコード屋なのだ。レジの向こうの暖簾の隙間からは炬燵が見えていた。店主の娘がそこで宿題のドリルを解いている、そんな様が見え隠れするような店だ。入った理由も覚えていない。ただ店が開いていたから、冷やかし程度に入ってみただけだ。確か時刻は午後10時過ぎ。その当時ではそんな時刻に開いているレコード屋なんてなかった。その店は小さな個人経営の店で、まだ起きているからという惰性的な理由でただまだ看板を下ろしていなかっただけなのだろう。
最初に「GUNS AND ROSES」の新譜に目が入り、次いで「U2」の輸入版を物色し始めていた。演歌のコーナーが多くを占めていたが、洋楽もソツなくその辺も僅かにフォローしていた。川村カオリの新譜「CAMPFIRE」はやはりその一角にあった。
予備知識はまるでない。ただジャケットのセピア色した風景の中で中空を眺めるかのように視線を泳がしている彼女の横顔に、僕は釘付けになった。それは純粋にインスピレーションだけで買ってしまった。「何かある」そんな理由のない何かに突き動かされて歩みだす、その感覚が好きだ。周りの用意された知識や経験則で物事を判断するよりも、まるで本能で嗅ぎ分けるその一瞬の判断力を、僕は僕自身に大いに委ねるきらいがある。外れることもあるけれど、あたった時の喜びはこれまた一入だ。
「川村カオリ」 はまさにそんな本能で引き当てた、十代最後のまさに「お気に入り」のアーティストの一人だった。
彼女の歌は、僕らの世代の心深くに投げかける歌詞が多かった。まだ未成熟な、というか未完成な感覚が、まさに我々世代の代弁者として、言葉にならない感情を表現してくれていた。
彼女が乳がんであることを知ったのは、不覚にもドイツに来る日の2日前の書店で手にした文庫本「Herter Skerter」だった。 僕はその本を機内で読み、深いショックに見舞われた。
同年代の今を生きるものとして、人の親として、クリエーターとして、彼女が僕に残したものは大きい。いまはただ、静かに彼女の歌を毎日、聴いて過ごしています。
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