2009年7月20日月曜日

「慢心」


2年半前、初めてこっちに来た時はなかなか自分の思い通りの仕事が出来なかった。


いろんな意味で気負いすぎていたのかもしれない。うまくやらなければ、きちんとやらなければ・・・・余計なプレッシャーで毎日押しつぶされそうだった。
簡単なことで信じられない失敗をしたり、思い違いの勘違い、失敗の繰り返し・・・・。
「なんでこんなこと出来ひんのやろ」自分でもわけが分からない。「これでも10年飲食の仕事をしてきたはずだろ?」 自問する日々が長く続いた。

ある日、痺れを切らした店の古株の人にこう言われた。
「悪いけど、あんたの居場所はこの店にあらへんで」 鼻で笑うように言い捨てられた。
・・・・・悔しかったな。悔しさは怒りに近く、怒りが悔し涙になってました。殴り殺してやろうか・・・・というほどの感情です。しかしそれを覆すだけの仕事が出来ていない。どんなに悔しくても、それを現場で、実力で返していかなければ意味がない。

しかし内心ではそいつよりも実力は勝っていることを信じて疑わなかった。だから自分に出来ることをひたすら根気強く、丁寧に、投げ出すことなく懸命にやり抜けば、自ずと結果は出るはずだ、と確信していた。
だから毎日誰よりも早く店に出て、休みを返上して仕事をし、一切の手を抜くことなく、ただがむしゃらに日々向上、日々精進の精神で仕事に打ち込んでいった。家族を引き連れて日本を飛び出してきたのだから後がない。がむしゃらにならなくてどうする。しかしキャリア10年目にして、まさに「0」からのスタートだった。環境の変化が、これほどまでに自分を無力化するのか、と痛感した。というよりもうそれほど若くないのだ、と肌で感じた。若い頃はどこに行っても、何をやっても自分をとことん自負することが出来たし、それに自分の能力を伴わせることが容易だったはずだ。


そんなある日、この店に来て一年が過ぎようとしていた時、オーナーから「店のメインである寿司を君に任せる」と言われました。
嬉しかったな。私に用済みのレッテルを貼った彼をそのポストから引き摺り下ろしたわけだから。
その彼はもともと自己中心的なところがあり、アルバイトとの衝突や、お客さんとのトラブルも少なくなかった。技術はそれなりに高いレベルのものも持っているのですが、誰かと協調して何かを推し進めたり、クリエイティブに仕事に打ち込むことが出来なかった。全ては彼の慢心のせいだと思う。
こっちで寿司を握っていると、マイノリティーとしてやはり注目されるんです。
日本の寿司屋ではたらく職人さんに比べると、こっちでの仕事の量はずっと少ない。だから手を抜こうと思えばいくらでも抜けてしまう。人間なんてつい楽をしたがる生き物です。そこをぐっと押し殺して自分を叱咤激励し、ポジティブに向上心を持って仕事に向かわなければならない。当たり前のようで、これが実は簡単ではない。偉そうなことを書きながらも、やはり自分を振り返ってみます。
「慢心」という病魔は、いつもすぐ近くで手を拱いているから。

それから1年後、彼はこの店を去ることになります。彼は最後まで自分の驕りを拭い去ることは出来なかった。慢心でいることがどれほどその人の持っている才能を蝕んでしまうのかを知るいい機会でした。






「反面教師」という言葉がありますが、その教訓を得るかどうかは謙虚に自分を見つめ直し、今日よりも明日へと向上しようと鍛錬しているかどうかにかかってくると思います。

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